症状の自覚はあるが無症状に
現在の重症筋無力症の症状は、主治医の判断で臨床調査個人票は無症状と記入され、特定疾患医療受給者証の適用外になりました。通院ペースは半年に一度になりました。
その後主治医が変わった時に、「無症状なら通院を終わらせることは出来ないでしょうか?」と尋ねたところ、後任の主治医が言うには、「やはり、患者さん自身が症状を訴えているので診させてください。」という答えでした。
逆に、私が「何も気になる症状はありません。」と宣言すれば通院は終われるのかもしれません。軽度ではあるが重症筋無力症の症状の感覚は頻繁にあるので、その悪化がいつ起こるかわからないことを考えると、やはり、神経内科の受診は必要ではないかと、私も思います。いつ何が起こるかわからないというのが、重症筋無力症の厄介なところですから。
QMGスコア測定方法について
診察で毎回行われる身体測定?(QMGスコアだと思う)も医師によってやり方の違いがあります。過去、10人ほど神経内科の医師から診察を受けましたが、皆さんそれぞれやり方は似ていますが、同じではありませんでした。QMGスコアの測定方法が医師によって異なるということは、症状の診断にも差が出てしまい、不利益を被る患者さんがでてくるかもしれません。特に、軽度の重症筋無力症罹患者の場合は、医師による測定方法の違いや測定のタイミング(症状の日内変動)によっては無症状という判断を受ける可能性さえ考えられます。
ですから、QMGスコア測定方法の統一やそのタイミングは、重要ではないでしょうか。
動画にあるQMGスコアの測定は、なかなか時間がかかるもので、この測定方法を現場の神経内科の医師が、律儀に厳密に、行なうのだろうか?という疑問はあります。だから、測定方法が医師によって異なるという現象が起きているのかもしれません。患者側にとっては、このような時間を使った丁寧な測定方法や、主治医が変わっても統一された測定方法は、安心でありがたいのですが。
【参考サイト】
重症筋無力症における MG-ADLスケール、 QMGスコアの測定方法 髙橋 正紀先生 大阪大学機能診断科学講座教授 今回ご紹介するMG-ADLとQMGは、多くの臨床試験で用いられてきたMGの評価指標です。一見誰にでもできるもののため、定められた方法とは異なったやり方で行われていることもしばしばで、それが医師間・施設間での違いにつながります。臨床試験ではトレーニングにより評価方法の統一がなされます。これまでその機会が無かった先生、あるいはこれから専門診療を目指す先生に、このビデオをご覧になっていただき、MG-ADLとQMGの標準的な評価方法を学び、今後の日常診療に役立てていただければ幸いです。
2018年5月18日金曜日
2018年5月14日月曜日
今日は暑かった
ツバメが持つ鋭い感覚
我が家には毎年、ツバメがやってくる(なぜか同じ場所で同じ巣を毎年使用。)のですが、今年は4月に来ました。去年はたしか6月下旬頃に飛来したので、随分早く来たなと思っていました。そういえば、4月は気温が急上昇した日があったので、ひょっとしたらツバメが勘違いして飛来したのではないかと様子を見ていました。4月早々に飛来して数日後、今度は気温が急降下したので、今年のツバメは繁殖ができないのではないかと心配していましたが、今日の夏日を迎えると同時に、どうやら新しい命が誕生したようです。鳴き声が明らかにひなの声でした。見事な孵化のタイミング、ツバメの感覚の鋭さに驚かされました。そう考えると、ツバメは勘違いして飛来したのではなく、わかっていたのでしょう。
暑さへの対応に失敗
さて、今日は早朝から蒸暑さで目を覚ましました。じっとりと首に汗をかいた不快な朝でした。天気予報によると今週は木曜日、金曜日にかけて暑さのピークを迎えるそうで、体調管理に要注意です。
午後は特に暑くなり、エアコンを使おうかどうか迷いました。しかし、エアコンのフィルターの掃除も出来ておらず、匂いが心配なので思いとどまりました。しばらくは扇風機でしのぐことになります。昨日まで春物を着て過ごせていたのに、慌てて夏服を引っ張り出すことになりました。とはいえ、夏服は去年からタンスにいれっぱなしだったことから一旦、洗濯することに。結局、今日は春物を着て過ごさなければならず、余計に暑く感じた一日になりました。エアコンも衣類も管理が不十分だったため、暑さへの対応がうまく出来ませんでした。
体温調節だけでなく水分補給も
喉の渇きも強く感じ、手元にはペットボトル飲料が欠かせない一日となりました。同時に、暑くなると麦茶が美味しい季節になり、心配していたツバメのヒナも無事に孵化し、暑くなるのは悪いことだけではないなー、と麦茶をゴクリ。
さて、昔は麦茶を飲もうと思えば、やかんで熱湯を沸かし、茶葉をティーバッグに入れ、それを煮出し、やかんを冷やしてやっと飲むことができるー、といった手間の掛かるものでしたが、現在では、美味しい麦茶が手軽に飲めるようになりました。既成品麦茶の特有の嫌な風味もしない、美味しい麦茶が簡単に飲める時代になったと思います。やかんで麦茶を作る作業は殆どやらなくなりました。夏がくると我が家の冷蔵庫に当たり前のようにあった麦茶の容器を使うこともなくなりました。ペットボトルのお茶は麦茶に限らず、緑茶、ほうじ茶なども、味や色が本当に良くなったと思います。また、ティーバッグタイプの麦茶の進歩も著しく、味は熱湯から作ったものより未だ劣るものの、水から美味しい麦茶を作ることができる商品も売られています。
夏はさらなる疲労感に繋がります。夏の日差しとガスの炎で気温が上昇した台所に立ち、大きなやかんで熱湯から麦茶を作ることを考えると、麦茶なんか作りたくないと思うのが自然の感情ではないでしょうか。技術の進歩は身体の苦痛を軽減してくれるので、そういった意味でも、本当にありがたいです。これから暑い夏に向けては、体温調節だけでなく、水分補給にも気をつけなければいけません。
天気予報に触れる機会は飛躍的に増加
季節が変わると、居室や衣類などの日常生活の対応に追われるのですが、たとえ対応(現実)に追われても、動作や筋力に制限があるのが重症筋無力症です。昨今の天気は混沌としていて何が起こるかわからないですが、できるだけ天候の変化を早めに予測して、動けるうちに(脱力や疲労感などの症状悪化が現れない範囲内で)、対応をしたいものです。
現在の天気予報は、インターネット媒体の普及と天気予報の自由化で、それに伴った企業の新規参入、気象予報士の増加などが起こり、天気予報に触れる機会は飛躍的に増加しました。また、天気予報の更新頻度も増加し、予報が変わる(覆る)ことは珍しくなくなりました。
気象予報士は様々な容姿の老若男女を見かけるようになり、従来の古参気象予報士だけではなく、アイドル、俳優、お笑い芸人までが資格を有し、天気予報を説明する時代になりました。競争で仕方のないことですが、視聴者の関心を強くひくような表現が存在する感は否めません。ですから、昔のように一つの天気予報だけを信用するのではなく、多くの天気予報の情報に触れて、先述のツバメのような鋭い感覚―、と言えば語弊があるかもしれませんが、天候の変化を自分である程度、見極めることが必要なのかもしれません。そういった姿勢が体調管理の要になるのではないでしょうか。
我が家には毎年、ツバメがやってくる(なぜか同じ場所で同じ巣を毎年使用。)のですが、今年は4月に来ました。去年はたしか6月下旬頃に飛来したので、随分早く来たなと思っていました。そういえば、4月は気温が急上昇した日があったので、ひょっとしたらツバメが勘違いして飛来したのではないかと様子を見ていました。4月早々に飛来して数日後、今度は気温が急降下したので、今年のツバメは繁殖ができないのではないかと心配していましたが、今日の夏日を迎えると同時に、どうやら新しい命が誕生したようです。鳴き声が明らかにひなの声でした。見事な孵化のタイミング、ツバメの感覚の鋭さに驚かされました。そう考えると、ツバメは勘違いして飛来したのではなく、わかっていたのでしょう。
暑さへの対応に失敗
さて、今日は早朝から蒸暑さで目を覚ましました。じっとりと首に汗をかいた不快な朝でした。天気予報によると今週は木曜日、金曜日にかけて暑さのピークを迎えるそうで、体調管理に要注意です。
午後は特に暑くなり、エアコンを使おうかどうか迷いました。しかし、エアコンのフィルターの掃除も出来ておらず、匂いが心配なので思いとどまりました。しばらくは扇風機でしのぐことになります。昨日まで春物を着て過ごせていたのに、慌てて夏服を引っ張り出すことになりました。とはいえ、夏服は去年からタンスにいれっぱなしだったことから一旦、洗濯することに。結局、今日は春物を着て過ごさなければならず、余計に暑く感じた一日になりました。エアコンも衣類も管理が不十分だったため、暑さへの対応がうまく出来ませんでした。
体温調節だけでなく水分補給も
喉の渇きも強く感じ、手元にはペットボトル飲料が欠かせない一日となりました。同時に、暑くなると麦茶が美味しい季節になり、心配していたツバメのヒナも無事に孵化し、暑くなるのは悪いことだけではないなー、と麦茶をゴクリ。
さて、昔は麦茶を飲もうと思えば、やかんで熱湯を沸かし、茶葉をティーバッグに入れ、それを煮出し、やかんを冷やしてやっと飲むことができるー、といった手間の掛かるものでしたが、現在では、美味しい麦茶が手軽に飲めるようになりました。既成品麦茶の特有の嫌な風味もしない、美味しい麦茶が簡単に飲める時代になったと思います。やかんで麦茶を作る作業は殆どやらなくなりました。夏がくると我が家の冷蔵庫に当たり前のようにあった麦茶の容器を使うこともなくなりました。ペットボトルのお茶は麦茶に限らず、緑茶、ほうじ茶なども、味や色が本当に良くなったと思います。また、ティーバッグタイプの麦茶の進歩も著しく、味は熱湯から作ったものより未だ劣るものの、水から美味しい麦茶を作ることができる商品も売られています。
夏はさらなる疲労感に繋がります。夏の日差しとガスの炎で気温が上昇した台所に立ち、大きなやかんで熱湯から麦茶を作ることを考えると、麦茶なんか作りたくないと思うのが自然の感情ではないでしょうか。技術の進歩は身体の苦痛を軽減してくれるので、そういった意味でも、本当にありがたいです。これから暑い夏に向けては、体温調節だけでなく、水分補給にも気をつけなければいけません。
天気予報に触れる機会は飛躍的に増加
季節が変わると、居室や衣類などの日常生活の対応に追われるのですが、たとえ対応(現実)に追われても、動作や筋力に制限があるのが重症筋無力症です。昨今の天気は混沌としていて何が起こるかわからないですが、できるだけ天候の変化を早めに予測して、動けるうちに(脱力や疲労感などの症状悪化が現れない範囲内で)、対応をしたいものです。
現在の天気予報は、インターネット媒体の普及と天気予報の自由化で、それに伴った企業の新規参入、気象予報士の増加などが起こり、天気予報に触れる機会は飛躍的に増加しました。また、天気予報の更新頻度も増加し、予報が変わる(覆る)ことは珍しくなくなりました。
気象予報士は様々な容姿の老若男女を見かけるようになり、従来の古参気象予報士だけではなく、アイドル、俳優、お笑い芸人までが資格を有し、天気予報を説明する時代になりました。競争で仕方のないことですが、視聴者の関心を強くひくような表現が存在する感は否めません。ですから、昔のように一つの天気予報だけを信用するのではなく、多くの天気予報の情報に触れて、先述のツバメのような鋭い感覚―、と言えば語弊があるかもしれませんが、天候の変化を自分である程度、見極めることが必要なのかもしれません。そういった姿勢が体調管理の要になるのではないでしょうか。
2018年5月12日土曜日
何回言えばわかる?重症筋無力症のこと。憂鬱なゴールデンウィーク。
ゴールデンウィークが終わりました。友人、家族、親戚と楽しく過ごした方は多かったのではないでしょうか。
我が家でもこの時期、親戚が集まります。ゴールデンウィークに限らず、お盆、正月なども同様です。
しかし、少々憂鬱になります。
というのは、親戚が集まると皆で食事を楽しんで、近況を話し合い、また会おうと別れる、といった一連の流れになるのですが、親戚同士の近況を一巡すると必ずと言っていいほど、私の現状や今後の話になります。そして、家族を含めた親戚の理想論と、重症筋無力症罹患者の現実論との果てしない堂々巡りが始まります。またこれが始まるかと思うと憂鬱になってくるのです。重症筋無力症罹患者は、症状やそれに付随する不安や、自分ではどうすることも出来ないジレンマに、絶えず晒され続けています。そのことを主旨として毎度説明をするのですが、伝わりませんし、納得もされません。
罹患者の私としては
親戚側は、
話し合いは、私が1人で5~7人の親戚を相手にする、という不均衡なものです。建設的な討論とは程遠く、何をどう言っても詭弁だと解釈されます。重症筋無力症罹患者の立場を全く考慮に入れない、親戚たちの無知な理想論に、気が遠くなりながら腹が立ち、下手に親しい間柄ということもあり、発狂寸前になることもありました。
親戚と話していると、「なんだ、そんなふうに思われていたのか・・・。」と、バカバカしく失望した気持ちになりました。こういった虚無感と怒りに任せた口論が何時間も続き、ヘトヘトになります。親戚が帰った後は間髪を入れずに、寝床に倒れ込むように横になります。またその後の家族との関係も当然ギクシャクします。そういった日の夜は、腹が立って眠れないことも多々あり、自分はこのまま憤死するのではないかー。と何度も思いました。
こういった不均衡な話し合いは、重症筋無力症に罹患して数年が過ぎてから起こり始めました。この頃私は、家族や親戚が重症筋無力症をまるで理解をしていなかったことと、たとえ身内であっても同情は長く続かないということに初めて気が付いたのです。
嫌気が差した私は、親戚の集まりから距離をとるようになりました。一貫して正直に誠実に家族や親戚に接してきた自負があるので、それでも穿った見方をされるなら疎遠になっても構わないー、と考えるようになったのです。
話し合いは欠席裁判へと変わり、やがて私は家族や親戚から蔑まれる存在になったと感じています。
どうしても親戚と顔を合わさなければならない時に、案の定、私の重症筋無力症の話題になります。その時は、できるだけ話をそらすようにしています。無益な話を進めないためです。
こうなる原因は、皆に心配をかけているからだとわかっています。申し訳ないと恐縮する気持ちや感謝の気持ちは、もちろんあります。
話し合いによる相互理解や相互合意を落とし所として追求するあまり、家族や親戚関係が悪化する現実があるのです。今のところ、家族、親戚一同と私が、ゴールデンウィーク、お盆、正月に和やかに談笑するのは難しそうです。
我が家でもこの時期、親戚が集まります。ゴールデンウィークに限らず、お盆、正月なども同様です。
しかし、少々憂鬱になります。
というのは、親戚が集まると皆で食事を楽しんで、近況を話し合い、また会おうと別れる、といった一連の流れになるのですが、親戚同士の近況を一巡すると必ずと言っていいほど、私の現状や今後の話になります。そして、家族を含めた親戚の理想論と、重症筋無力症罹患者の現実論との果てしない堂々巡りが始まります。またこれが始まるかと思うと憂鬱になってくるのです。重症筋無力症罹患者は、症状やそれに付随する不安や、自分ではどうすることも出来ないジレンマに、絶えず晒され続けています。そのことを主旨として毎度説明をするのですが、伝わりませんし、納得もされません。
罹患者の私としては
- 怠けてなんかいない!
- これでも精一杯生きてるんだよ!
- 何回説明をすればわかるんだ?
親戚側は、
- どこが病気なのかわからない。
- 今後の人生をどうするつもりだ?
- 気合が足らないからだ。
話し合いは、私が1人で5~7人の親戚を相手にする、という不均衡なものです。建設的な討論とは程遠く、何をどう言っても詭弁だと解釈されます。重症筋無力症罹患者の立場を全く考慮に入れない、親戚たちの無知な理想論に、気が遠くなりながら腹が立ち、下手に親しい間柄ということもあり、発狂寸前になることもありました。
親戚と話していると、「なんだ、そんなふうに思われていたのか・・・。」と、バカバカしく失望した気持ちになりました。こういった虚無感と怒りに任せた口論が何時間も続き、ヘトヘトになります。親戚が帰った後は間髪を入れずに、寝床に倒れ込むように横になります。またその後の家族との関係も当然ギクシャクします。そういった日の夜は、腹が立って眠れないことも多々あり、自分はこのまま憤死するのではないかー。と何度も思いました。
こういった不均衡な話し合いは、重症筋無力症に罹患して数年が過ぎてから起こり始めました。この頃私は、家族や親戚が重症筋無力症をまるで理解をしていなかったことと、たとえ身内であっても同情は長く続かないということに初めて気が付いたのです。
嫌気が差した私は、親戚の集まりから距離をとるようになりました。一貫して正直に誠実に家族や親戚に接してきた自負があるので、それでも穿った見方をされるなら疎遠になっても構わないー、と考えるようになったのです。
話し合いは欠席裁判へと変わり、やがて私は家族や親戚から蔑まれる存在になったと感じています。
どうしても親戚と顔を合わさなければならない時に、案の定、私の重症筋無力症の話題になります。その時は、できるだけ話をそらすようにしています。無益な話を進めないためです。
こうなる原因は、皆に心配をかけているからだとわかっています。申し訳ないと恐縮する気持ちや感謝の気持ちは、もちろんあります。
話し合いによる相互理解や相互合意を落とし所として追求するあまり、家族や親戚関係が悪化する現実があるのです。今のところ、家族、親戚一同と私が、ゴールデンウィーク、お盆、正月に和やかに談笑するのは難しそうです。
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