2018年5月12日土曜日

何回言えばわかる?重症筋無力症のこと。憂鬱なゴールデンウィーク。

ゴールデンウィークが終わりました。友人、家族、親戚と楽しく過ごした方は多かったのではないでしょうか。
我が家でもこの時期、親戚が集まります。ゴールデンウィークに限らず、お盆、正月なども同様です。
しかし、少々憂鬱になります。
というのは、親戚が集まると皆で食事を楽しんで、近況を話し合い、また会おうと別れる、といった一連の流れになるのですが、親戚同士の近況を一巡すると必ずと言っていいほど、私の現状や今後の話になります。そして、家族を含めた親戚の理想論と、重症筋無力症罹患者の現実論との果てしない堂々巡りが始まります。またこれが始まるかと思うと憂鬱になってくるのです。重症筋無力症罹患者は、症状やそれに付随する不安や、自分ではどうすることも出来ないジレンマに、絶えず晒され続けています。そのことを主旨として毎度説明をするのですが、伝わりませんし、納得もされません。
罹患者の私としては
  • 怠けてなんかいない!
  • これでも精一杯生きてるんだよ!
  • 何回説明をすればわかるんだ?
という態度で話をします。
親戚側は、
  • どこが病気なのかわからない。
  • 今後の人生をどうするつもりだ?
  • 気合が足らないからだ。
というような、疑念(詐病と言いたそう)を露骨にした話し合いというよりレッテル貼りです。また、重症筋無力症罹患者の切実な難問である、将来、人生設計についての言及です。毎回こうなります。
話し合いは、私が1人で5~7人の親戚を相手にする、という不均衡なものです。建設的な討論とは程遠く、何をどう言っても詭弁だと解釈されます。重症筋無力症罹患者の立場を全く考慮に入れない、親戚たちの無知な理想論に、気が遠くなりながら腹が立ち、下手に親しい間柄ということもあり、発狂寸前になることもありました。
親戚と話していると、「なんだ、そんなふうに思われていたのか・・・。」と、バカバカしく失望した気持ちになりました。こういった虚無感と怒りに任せた口論が何時間も続き、ヘトヘトになります。親戚が帰った後は間髪を入れずに、寝床に倒れ込むように横になります。またその後の家族との関係も当然ギクシャクします。そういった日の夜は、腹が立って眠れないことも多々あり、自分はこのまま憤死するのではないかー。と何度も思いました。
こういった不均衡な話し合いは、重症筋無力症に罹患して数年が過ぎてから起こり始めました。この頃私は、家族や親戚が重症筋無力症をまるで理解をしていなかったことと、たとえ身内であっても同情は長く続かないということに初めて気が付いたのです。
嫌気が差した私は、親戚の集まりから距離をとるようになりました。一貫して正直に誠実に家族や親戚に接してきた自負があるので、それでも穿った見方をされるなら疎遠になっても構わないー、と考えるようになったのです。
話し合いは欠席裁判へと変わり、やがて私は家族や親戚から蔑まれる存在になったと感じています。
どうしても親戚と顔を合わさなければならない時に、案の定、私の重症筋無力症の話題になります。その時は、できるだけ話をそらすようにしています。無益な話を進めないためです。
こうなる原因は、皆に心配をかけているからだとわかっています。申し訳ないと恐縮する気持ちや感謝の気持ちは、もちろんあります。
話し合いによる相互理解や相互合意を落とし所として追求するあまり、家族や親戚関係が悪化する現実があるのです。今のところ、家族、親戚一同と私が、ゴールデンウィーク、お盆、正月に和やかに談笑するのは難しそうです。