2018年9月4日火曜日

車の運転からわかる、工夫と体力の限界。

体力や反射神経が落ちた
眼瞼下垂や脱力が続いて、数年間、車の運転が出来ない時期が有りました。運転自体が怖かった記憶があります。現在は、なんとか車の運転はできていますが、運転をしていると、重症筋無力症による長い療養生活だけではなく、加齢も伴い、体力や反射神経が明らかに落ちたことを痛感します。もうかつてのようには戻らないでしょう。

出掛けたいけど運転が怖い
お陰様で、最近は症状が良くなってきたことで服薬無しで日常生活を送ることができるようになりました。出掛けたいと自然に思えるようになりました。逆に、でかけたくないと感じる時は、体調が良くないときです。そう考えると、人間の感覚はよく出来ていると思います。体調が良くなると自然と外出欲求が湧いてきます。
運転の再開は簡単ではありませんでした。恐怖心で、交通の流れに乗ったスピードを出すことが出来ず、後続車に追いつかれては路肩に車を寄せて、通路を譲っていました。そういったことを何度も繰り返しながら徐々に運転の感覚を取り戻していったという感じです。重症筋無力症で運転から遠ざかっていたことは、想像以上に体の感覚や運転の感覚が鈍っていたのです。どんなに頑張っても、重症筋無力症以前のような運転は出来ません。ですから、車の運転は最小限にとどめています。

もう車を捨てよう
できれば車の運転はやりたくないので、家族に運転を頼むと、
「普通車は運転できない」
とか、
「街の運転は出来ない」
と、言われて断られます。公共交通機関での移動を考えましたが、

  • 路線バスの本数が少ない
  • 待ち時間に耐えられない
  • 最寄りの駅まで遠くて、最寄りでもなんでもない

といった不都合があり、自分の車が無くてはならない状況、車を手放すことは難しい地域でした。症状が良くなったとはいえ、眼球固定、上下肢の脱力、易疲労性は無くなったわけではありません。今でも車の運転は怖いのですが、必要に迫られますので、いろいろ工夫をしながら運転をしています。

運転に関わる苦痛

  • 車線変更・・・右目の眼球が動きが鈍いので、本線との合流、車線変更には特に神経を使います。首を右に振ることで視認を補うようにしています。
  • 駐車・・・昔はバックで駐車しなければ気が済まない程の性格でしたが、重症筋無力症になって以来、バックで駐車する時は体を後ろ向きにねじり、視点が定まるまでの時間がかかるようになりました。僅かな感覚の衰えですが、運転では早い判断が求められるので、今では、駐車をする時はほとんど頭から突っ込んで停めています。また、接触事故を避けるため、できるだけ他の車がいない場所に駐車します。

他人事ではないペダル踏み間違え事故
最近はアクセルとブレーキを間違えて事故を起こすニュースを耳にします。ニュースでは高齢者によるペダル操作ミスを取り上げることが多いようですが、このミスは年齢に限ったこととは思えません。
高齢者の事故では、逆走事故も取り上げられています。私も過去に何度か逆走車に遭遇したことが有ります。運転者が高齢者かどうかは確認できませんでしたが、迷った様子もなくこちらに逆走してくる車を思い出すと今でも恐ろしくなります。
ミッション車のペダルの踏み間違え事故は、オートマチック車に比べてほぼ聞きませんが、この事故はミッション車かオートマチック車かで分けない方がいいと考えています。現代では、オートマチック車の方が多く乗られているからです。私は古いミッション車を運転していますが、「これはブレーキだったっけ?アクセルだったっけ?」と、アクセルとブレーキがどちらなのか混乱することがあります(あってはならないことですが)。おそらくペダルを意識しすぎることで混乱しているのではないかと思います。
これに似たことが他の場面でもたまにあります。ある単語をじっと見ていると、本当にそうなのかと思ってしまうことです。例えば、「みかん」というひらがな文字をじっと見ていると、本当にこの表記だったかなと不安に陥っていしまうことがあります。いわゆる、ゲシュタルト崩壊です。
足裏の感触が鈍くなる底が分厚い靴は、そういう意識によって感覚を補おうとしてしまうので、できるだけ感触を得やすい靴を選んで運転しています。考えるより感じるといったところでしょうか。
今、挙げるだけでも、
  • 高齢による判断力の低下
  • 考えすぎによる混乱
  • 足裏の感度の低下
などが考えられますが、実際のところ、アクセルとブレーキを踏み間違う事故の原因は未だにはっきりしない印象があります。

運転の苦労の軽減を図る
  • 補助ミラー・・・首の後ろや眼球が重く使いにくい時があり、特に車線変更の時に恐怖を感じます。ドアミラーの死角を目視する時は首を右に振り向けて死角を目視、確認してから車線変更をします。この動作の軽減のために、カーショップで購入した補助ミラーを装着してみましたが、これは効果の程はわかりません。ミラーが小さすぎて右後方の死角を視認できません。返って、ドアミラーの写す範囲が狭くなっただけだと思ったので、すぐに外しました。やはり、首を右に振る目視以外に死角を補う方法がありません。
  • ゴム付き軍手・・・少しでもハンドル操作が軽快になればと思い、滑り止めのゴムでコーティングされた軍手をはめて運転をすることもありましたが、夏場は暑くて手が汗だらけになったり、手にゴムの匂いが着いて不快だったりと、いまいちでした。
  • ハンドルカバー・・・腕の脱力が現れるとハンドルが重く感じることがあります。腕のコントロールがうまくいかなくなったので、ハンドルを握る手の力がいつの間にか緩くなり、スッポ抜けることもありました。以前は片手で運転することもありましたが、今は怖くて出来ません。ハンドルカバーを装着することにしました。カーショップに行けば沢山の種類のカバーが有ります。私はグリップを太くして滑りにくいハンドルにしたかったので、ゴムの凹凸グリップが付いたハンドルカバーを装着しました。これを装着するだけでハンドル操作は随分楽になりました。
  • ハンドルスピンナー・・・フォークリフトなどについている、ハンドルをくるくる回すためのグリップです。大きくハンドルを切る操作が簡単にできます。
  • スポーツインナー・・・アクセルやクラッチ操作の際は足がだるく感じることや攣(つ)りそうになることがあります。脱力症状で運転の危険を感じた時は、すぐに休憩を取るようにしています。道の駅で休憩をしたり、交通量の少ない路肩に車を寄せて停車します。脱力から復活できるまで、足のストレッチやマッサージを自分で行ない体力が戻るのを待ちます。そういったことが起こりにくくするために、運転時の足の負担を軽減するために、市販のソフトテーピング靴下を必ず履くようにしています。これを履くことでつま先を上げやすくなります。アクセル操作とブレーキ操作が機敏にできるようになります。このようなスポーツインナー(筋肉を補強する靴下や下着)を着けると、僅かな効果ではありますが、疲れを軽減できます。短所として、加圧で体を締め付けるので、長時間の着用は向いていません。外出がから帰宅すると、リラックスできる締め付けの緩い衣服にすぐに着替えます。
  • 大きな国道は避ける・・・国道は大型車や排気量の大きい自動車が結構な速度で通行していますので、ほとんど使用しません。速度が上がるとその分、運転動作や判断、危険認知などを速くしなければならず、身体的精神的に疲弊してしまいます。高速道路に至っては、重症筋無力症になって通行したのは2度だけです。高速道路は、信号機や歩行者が居ないとは言え、私にとっては怖いです。どうしても必要に迫られたので通行しましたが、殆どの場合は、一車線の県道を使います。広々と快適な通行ができるわけでもなく、自転車や歩行者はいますし、目的地まで時間がかかりますが、なにより、速度を出さなくて済むのということ、ドラッグストア、レストラン、スーパーマーケット、コンビニなど、駐車スペースがある店が比較的多いので、何かあった時に退避しやすいのです。国道で運転はしない、するとしても必要最低限の近距離までといった方法をとっています。
  • 出掛ける時間帯、タイミングを考える・・・重症筋無力症における目の症状は、眼瞼下垂、眼球固定だけでなく、眩しさを感じるという症状があります。印象の薄い症状ですが、運転時の視認は眩しさとの折り合いといっても過言ではないでしょう。太陽の光が眩しいので日中の運転は、サングラスは必須です。さらに、西日に向かって運転すると、ほとんど前が見えなくなります。信号の色も確認できないほど西日がきつい時もあり、恐怖を覚えます。基本的に、そういったことが予測できる時間帯の運転は、避けれるだけ避けます。運転は諦めて、日没後、完全に夜になってからの運転のほうが気が楽です。夜間でも対向車のヘッドライトも眩しくて、辛い時があります。暗順応と明順応という言葉を自動車教習所で習うかと思いますが、この順応の時間が罹患前よりもかかるような気がします。加齢が原因かもしれませんが、ヘッドライトの光を直視しなくともかなり眩しく感じます。ですから、対向車が少ない時間帯、例えば、週始めの月曜や火曜日の夜間などに出かけることで、日光の眩しさと対向車のヘッドライトの眩しさの両方を避けて運転するという方法をとっていました。しかし、近所から「あの人はなんで夜に出かけているんだ?」と、奇異な目で見られるのではと疑心暗鬼になります。隣近所にその理由を説明をしたところで、伝わるわけでもなく、ひたすら、そっとしておいて欲しい、こっちを気にしないで欲しい、構わないでくれ、という精神衛生上よろしくない状態に陥ります。さらに問題があります。ご承知の通り、重症筋無力症は夕方から疲れが出やすいので、今度はそちらとの折り合いが付けられなくなります。安全運転と脱力症状の折り合いが難しくなるのです。
このように、運転は、体調だけでなく、混雑の時間帯を避けながら、タイミングを計るという、神経質な状態にならざるを得ないものになってしまいました。趣味だったドライブが面倒な存在へと変わりました。

もういい、もう充分頑張った
  • 工夫しても運転が楽にできない・・・今まで、補助ミラーや滑りにくいハンドルカバー、ハンドル操作を楽にするハンドルスピンナーなど、自分なりに努力はしてみたものの、運転の苦労を克服するに至りませんでした。いろんな(気休めに近い)策を講じてきましたが、正直なところ、これ以上は楽しく快適な運転は望めないと思っています。
  • 体調改善も頭打ち・・・罹患して10年以上経った今でも、眼球の動きが鈍くなったり、体がだるくなったり、疲れやすい、という状態は現れます。体力の温存、維持の工夫もいろいろ講じてきましたが、これ以上の体力の増強や好転は見込めないし、重症筋無力症独特の身体的違和感を完全に排除、駆逐することは出来ない―、と判断しました。
視点を変える。これからは、積極的な新技術の導入
学生時代は毎日往復30Kmの道のりを自転車で通学していました。地理的に不利な環境を何度恨んだことか・・・。大人になり自動車の運転免許を取得し、初めて車で移動したあの時の感動は、今でも忘れられません。以来、運転は大好きでドライブが趣味でした。本当にいろいろなところへドライブしました。重症筋無力症になってからは、そんな趣味も失ってしまいました。
最近では自動運転システム、自動歩行者検知システム、といったAI技術を導入した自動車が販売されていて、とても関心を持っています。眼瞼下垂、眼球固定、四肢の脱力は、経験から培った運転の感覚を根こそぎ無化させます。こういったシステムに積極的に頼るのは自然な流れだと考えています。これらのシステムは、難病者の為の技術ではありませんが、健常者と障害者の間に存在する私にとっては、運転の心労や身体的疲労を軽減してくれるだけでなく、再び、趣味のドライブを楽しむことができるのではないかと思わせてくれる、興味深い技術です。
AI、人工知能といった技術を自動車や家電などの従来のインフラに導入していくということは、我々罹患者にとっては、医療行為を受けることと同じくらい重要ではないかと思うのです。実際に、今こうやって、インターネットを使う情報の収集、共有は、一昔前では不可能だったことですから。今後の積極的な新技術の導入が生活を豊かにしてくれると信じています。

さらば地球
また、疲労感の根源を考えると、確かに体を動かすことなのですが、もっと深く考えると、地球の重力が疲労に関係しているとも言えます。例えば、運転では両手でハンドルを握ります。この姿勢を保持しているとだんだん腕がだるくなります。これが、無重力空間で同様の姿勢保持を試みた場合、地上と同じような疲労感になるのでしょうか?もしかしたら、重症筋無力症罹患者にとって無重力状態は好都合ではないかとさえ期待してしまうのです。逆らう重力が無いのですから、疲労感は違ってくるのではないでしょうか。無重力空間、宇宙空間での生活、いっそ宇宙に行くことを考えることも有りの時代ではないでしょうか。