2018年9月2日日曜日

重症筋無力症で人生が膠着していることを恩人には知られたくない。

残業で深夜に小腹が空くと、休憩がてら、会社から歩いて数分のところにあった店に行き、円盤型の箱の6個入りチーズ買っていました。その隣には24時間空いているコインランドリーが有り、漆黒の闇を照らしていました。そこの明かりに群がる虫のように、同僚数人と誰もいないコインランドリーのベンチに座り、6個入りのチーズを分け合って食べていました。飲み物は眠気覚ましに缶コーヒーを飲むのが常でした。チーズを食べ終えると重い腰を上げ再び仕事に戻っていました。この店は、深夜までサービス残業に追われた私にとって、オアシスでした。

郷愁のある良い店
深夜に限らず、会社の昼休みにも、ちょくちょく通っていました。その店は、駄菓子、本、日用品、食料品を取り扱う、お店でした。その店は当時でも古い外観で、自宅の1階部分の土間を改造したような、昔よく見た木造の駄菓子屋そのものといった外観でした。映画で言うと、『三丁目の夕日』、『寅さん』に出てくるような昭和の雰囲気がそのまま残る店でした。店は、高齢の女性とその息子さんが二人で切り盛りしているお店でした。おそらく、親子二人だけだと思います。
当時の私は社会人駆け出しで20代前半、高齢の女性は70歳代くらい、息子さんは40代後半~50代に見えていましたので、今ご存命なら、お二人ともかなり高齢でしょう。店番する息子さんを、「おじさん」、高齢の女性のことを、「おばあさん」と私達は呼んでいました。

必死で商売をしていることに気づけなかった
深夜の残業の合間に買い物に行き、私が、
「こんな遅くまで、大変ですね。」
と話しかけると、おじさん(息子さん)は、
「全然(平気だよ)。若い頃は、12時過ぎても店を開けてたよ。」
と少し誇らしげに言っていました。
営業時間は朝7時から深夜23時まで。当時は、コンビニが乱立し始めていた時代で、そういった、押し寄せるグローバリズムの流れに逆らうかのような、鬼気迫る頑固な経営姿勢は感じるものの、人情味が溢れて人当たりの柔らかい雰囲気に好感が持てる店でした。
おじさんは、冗談をよく言う気さくな人でした。例えば、合計で500円の商品を買うと、「全部で500万円ね!!」
と冗談を言い、私もよく笑っていました。これは毎回、お決まりのやり取りです。つまらないと思われるかもしれませんが、張り詰めて仕事をしていた私にとっては、一瞬気の休まる、心地の良いやり取りでした。
日中はおばあさん、早朝と夜は息子さん、が店番をしていました。
おばあさんは、ガラスのショーケースの前に椅子を置き、そこにちょこんと座り、店番をしていました。昼休みに菓子パンなどを買うといつも、10円とか20円、安くしてくれました。例えば、120円のパンを買うと、おばあさんは、
「100円でいいよ。」
と言ってくれました。
「本当に100円でいいの?!おばあさん?」
と聞いても、
「いいよ(どうってことねーよ)。」
といった感じで、妙に粋なおばあさんでした。こちらから値引きを催促したことはありません。当時、毎日ギリギリの生活で苦しかった私は、すごく嬉しかったのを覚えています。だんだん私は、菓子パンを安くしてもらえることに甘えて、気安くパンを買いに行っていました。「今日も負けてくれるかなあ。」と、期待しながら。一緒に店に行っていた同僚も、よく負けてもらっていました。ある日、いつものように同僚とその店に行こうとすると同僚の一人が、「もう安くしてもらうのはやめよう。」と言ってきました。理由を聞くと、おばあさんと息子さんが口喧嘩しているのを聞いたと言うのです。おばあさんが、私達の買う菓子パンを値引きしたことを、息子さんが叱責していたとのこと。
「なんで、安く売るんだよ?! 1円でも儲けなきゃ駄目だろ?!わかってんのか?、おふくろ!」
「客に変な癖を付けちゃ駄目だろっ!!」
といった怒りの叱責だったそうです。それを聞いて、あの気さくでおもしろいおじさんがそこまでシビアなことを言っていたなんて・・・と、思うと伴に、おばあさんに申し訳なくなり、今まで安く売ってもらっていたことに、ものすごく罪悪感を覚えました。それ以来、おばあさんが店番をしている時は、そのお店を避けるようにし、おじさんが店番をしている時だけ、恐縮した気持ちで買い物をするようになりました。おじさんも私達のそういった微妙な変化を感じ取ったのか、どこかお互いにギクシャクした買い物になったのを覚えています。
今考えれば、おじさんの思いは当然のことだとよく分かります。ですが、若かった私達は自分本位で、お店のことなど考えていなかったのです。

この場でお礼を言います
よくテレビ番組で、世話になった人にお礼を言いに行くとった企画があります。例えば、芸人が鳴かず飛ばずの自分を世話してくれた人にお礼を言いに行く、といった企画です。当時、売れなかった芸人を世話した人も、成功した芸人を見て誇らしい気持ちになり、今後の活躍や再会を誓って別れて、番組は終わります。
成功した人は、そうやってお世話になった人に、面と向かってお礼を言えますが、私のように、鳴かず飛ばずのままで何かに成功しているわけでもなく、重症筋無力症で膠着状態が継続している自分を、お世話になった恩人である、店のおじさんとおばあさんに見せるのは気が引けます。店のおじさんとおばあさんには、
「あの時はありがとうございました。何も恩返しできなくてすみません。」
と、この場で言うことしか出来ません。